手の内を明かす必要はない。

「相手が〇〇したらこちらが先に攻撃します」

〇〇を明かしたら抑止にならない、相手に手の内を曝け出しては抑止もクソもあったもんじゃない。当然。事細かに答弁するはずがない。財務相の「口先介」入ならぬ「口先抑止」、そこはわかっている。

だからこそ、政府を信用できるのか、と言う大きな問いが生じる。

情報源は米軍。米軍の指示に逆らわず従う…では困る。日本独自のインテリジェンス。

下手なことしたら相手が先に攻撃してくる…かも、と相手に思わせる必要がある。口先抑止。

そのための反撃能力。反撃って言葉が返ってややこしい。”打撃力”とか”攻撃能力”とかストレートな表現をすべきでは。ふわっとした表現でお茶を濁している感じ。

いいなりの口先抑止では意味がない。主体的に口先抑止ができないなら「核の共有」も考慮すべきだろう。

国会での議論。「それ、わざわざ予算委員でやる必要あるの」と思うお題も。

台湾有事に巻き込まれるのはゴメンだという不安を解消するための努力をしない政府を誰が信用するというのか。国民に反撃能力を保有する意味をしっかりと伝えるつもりがない政府。

歴史は繰り返さないが韻を踏む。

日本には苦い経験がある。それに蓋をしつづけるように安直な暗記偏向的な歴史教育。「昔、日本はアジアでひどい事をしました。だから謝り続けないといけません。」と社会科で教わった。幼いながらもすごく不快だったな。

酷い事をしたのは事実だろう。そこを否定する気は毛頭ない。

大事なのは「なぜそんな事をしたのか」という事をしっかりと考えさせる事。年号を覚えさせるだけの歴史教育、もうやめてほしいよね。